第2回 新潟には何もない!?


新潟に住むようになった当初、なにかにつけて言われた言葉があった。
「 こっげ何もねえところによく来たて」(こんな何もないところによく来たね)
と、どの方もよくおっしゃるのである。最初は遠くから引っ越した他県民に集落の方が気を
使って言ってくれているのだと思っていた。しかし、不思議なことに上越や下越、はては福
島との県境あたりに行っても、同じ言葉をいただいた。
「こんな何もないところによく来たね」という言葉は、引っ越してきた労力をねぎらってい
ただいたようでありがたい。反面、どこかさみしさを覚える。冒頭の言葉を言っていただい
たとき、「新潟は面白いところがたくさんありますよ。」と私は答えている。対する地元の
方はただほほえむばかりだ。


どうして新潟の人は、自分の住んでいるところを何もないというのだろう。私は最初にこの
言葉を聞いたのが中越の集落の中であったため、周りに観光名所があまりないことも関係し
ているのだと思っていた。しかし、長岡や新潟といった市街地に住む人々も同じことを言
う。もし都市部に何もないとすれば、その他の地域にはそれこそ何もなくなってしまう。
新潟県民の心理をいろいろと考えた私は、ひとつの仮説を立てた。それは、彼らは身の周り
のものに見慣れているのだろうというものだ。他県民の私に言わせれば雪国の暮らしは毎日
が面白い発見の連続である。加えて、毎日口にするお米もお酒もお野菜お肉お魚もとても美
味しい。何もないという言葉は信じられない。しかし、生まれてこの方新潟で過ごした人に
とっては新潟の様々はありふれたものとして映るだろう。それこそ何もないという気持ちに
なっても仕方がない。当たり前に存在するものの価値は気づきにくい。広島出身の私ももみ
じ饅頭や厳島神社で喜ぶ他県の人をもの珍しく思うときはあった。


もう一つ考えられる理由としては新潟の人の 慎み深い性格が挙げられる。彼らの多くは慎
重な性格で、なにごとも過ぎることを特に避けているように思える。「過ぎたるはなお及ば
ざるがごとし」という言葉を地で行く印象も受ける。慎み深い人にとっては考えなしに何か
をほめることは避けたいのかもしれない。
新潟に来てからあまり「お国自慢」を聞いたことが無い。これまでさまざまな場所に住むな
かで土地ごとの郷土自慢を聞いてきた私としては、もっとあってもよい気もする。しかし、
新潟のお国自慢はほとんど聞こえない。他県民の人にとってしばしば鼻につくということを
知って、私の前ではひかえてくれているのかもしれない。なるほど、もしかしたら彼らは他
県民である私の前でだけ「何もない」と言っていた可能性もある。
もしかしたら、なにもないという言葉は新潟の人の慎み深さから来る言葉で、それほど深い
意味は無いのかもしれない。どこまで本気で言っているかはそれこそ他県民の私には推しは
かりにくいだろう。ただ、これまでの私がそうであったように、何もないという言葉を信じ
て何もないと思い込む人がいるかもしれない。新潟という魅力的な地域が何もないと思われ
るのは心外だし残念だ。だから、私は新潟をよく知る者の一人として、県民の方々が言わな
いことを述べるつもりである。 新潟には何もないことは決してない。むしろ全国に誇れる
ものは数多くある。このコラムでも繰り返し述べるので、どうか見守っていただければ幸い
である。

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